4月20日の「ゴー宣DOJO in名古屋」は全く予想外の
展開だった。
次世代師範はまだまだ一年間くらい実践訓練の期間を経て、
モノになっていくだろうと思っていた。
高森、倉持がいない場合、次世代はまだ猶予期間で、
その間はわしの独演会気味になるかもしれないと思って
いた。
ところがである。次世代が突然、覚醒した。
自然体の喋りで『日本人論』の中で、自分が気になった
テーマを抽出し、自分の体験・感覚を交えて、説得力
ある感想や見解を、庶民目線で面白く語るので、最初から
最後まで、ずっと楽しく、しかも深い議論になった。
これほどまでに深く掘り下げた「日本人の歴史感覚」の
議論ができるとは、まさに「ゴー宣DOJO」でしか成し
得ないだろう。
「人権」がイデオロギーであることにも気づかず、
2000年にもわたる日本人の「歴史感覚」や「文化」の
喪失を一顧だにしない「サヨクリベラル」と「ネトウヨ」
しか、現在の日本には存在しない無惨さになっている。
「キャンセルカルチャー」は、たった200年の歴史しか
ないアメリカにおいてすらも、反発心が芽生えたのに、
日本では嬉々として受容する者ばかりで、日本人のアイデン
ティティー喪失はもう絶句するばかりだ。
だが、「ゴー宣DOJO」内部から、日本人の「不文のルール」
を意識しようという者たちが覚醒している。
本当はここからしか憲法論議など始まらないのだ。
やっと面白い展開になってきた。
「ゴー宣DOJO」はまだまだ日本の「公論」を形成する
重要な言論の場となっていく可能性がある!
それを確信した歴史的な成功だった。